第21話「森の探索と罠設置」
翌朝、村は早くから活気づいていた。グレイウルフの脅威に備え、村人たちが協力して防衛策を講じ始めたのだ。男たちは村の周囲に溝を掘り、女性たちはメレンラビアというハーブを集めるために谷間へと向かっていた。
ライルも早朝から作業に参加していた。丈夫な鍬を手に、村の北側入口に溝を掘る作業を手伝う。土は少し固く、掘るのに苦労したが、《天恵の地》のスキルが彼の体を微かに強化しているためか、他の村人より作業が進んでいるようだった。
「ライル君、よく働いてくれるね」ガルド村長が水筒を持って近づいてきた。「ひと休みするかい?」
「ありがとうございます」
ライルは汗を拭いながら水を受け取った。冷たい水が乾いた喉を潤し、少し疲れが和らいだ。
「実はね、今日の午後に森の偵察に行こうと思っているんだ」ガルドは真剣な表情で言った。「グレイウルフの痕跡を探して、どれくらい近づいているか確認したい」
「森の偵察、ですか?」
「ああ」ガルドは頷いた。「私は若い頃、傭兵をしていてね。魔獣の追跡には少し経験がある。それで、君にも同行してほしいんだ」
ライルは少し驚いた。村長がかつて傭兵だったとは知らなかった。おそらく魔獣との戦いの経験もあるのだろう。
「もちろんです。お役に立てることがあれば」
「頼もしいね」ガルドは微笑んだ。「他に二、三人の村人も連れて行くつもりだ。午後二時に村の北門に集合してくれ」
ライルが家に戻ると、フィリスが窓辺で何かを見ていた。
「おかえり」彼女は振り返って言った。「コルが少し様子がおかしいの」
コルは庭で落ち着かない様子で行ったり来たりしていた。地面の匂いを嗅ぎ、時折立ち止まっては耳をピンと立てている。
「どうしたんだろう」ライルは庭に出て、コルの側に膝をついた。「コル、何か感じているの?」
コルはライルの方を見て、小さく鳴いた。その目には警戒の色が浮かんでいる。
「ライル」フィリスも庭に出てきた。「実は私も何か感じているの。地脈の流れが少し乱れているような……まだ遠いけど、確かに何かが近づいてきている」
「グレイウルフの群れか」ライルは眉をひそめた。「今日の午後、村長と森の偵察に行くことになったんだ」
「森に?」フィリスは心配そうに言った。「危険じゃないの?」
「大丈夫だよ。村長は元傭兵だし、他の村人も一緒だから」
フィリスはしばらく考え込んだ後、決心したように言った。
「コルを連れて行ってあげて」
「え?」
「コルはグレイウルフの気配を感じ取れるはず」フィリスは真剣な表情で言った。「それに神獣としての力も少しずつ戻ってきている。何かあったとき、あなたを守れるわ」
ライルはコルを見た。コルも同意するように頷いているようだった。
「わかった。でも、コルが人前に出るのは危険じゃないかな?」
「村人たちは『銀の守り手』として受け入れているじゃない」フィリスは微笑んだ。「それに、今は村の危機なのよ。きっと理解してくれるわ」
午後二時、村の北門には小さな偵察隊が集まっていた。ガルド村長、村の猟師ヨハン、それに若い農夫のニックだ。彼らはそれぞれ武器を持っている。ガルドは短剣と小さな盾、ヨハンは弓矢、ニックは頑丈な棒を手にしていた。
ライルが近づくと、皆が驚いた表情になった。彼の横には銀色の毛並みを持つコルがいたからだ。
「これは……銀の守り手!」ニックが驚きの声を上げた。
ガルド村長はただ静かに見つめ、やがて微笑んだ。
「やはり君と特別な絆があるんだね」
「はい」ライルは素直に認めた。「コルは森の危険を感じ取ることができます。偵察の手助けになるはずです」
「コル? そんな名前なのか」ヨハンは興味深そうに近づこうとしたが、コルは少し身を引いた。
「あまり近づかないでください」ライルは説明した。「人に慣れていないので」
ガルドは頷き、偵察隊の出発を宣言した。四人と一匹は村を出て、北の森へと向かった。コルは常に先頭を歩き、時折立ち止まっては辺りの匂いを嗅いでいる。
森に足を踏み入れると、明るかった陽光は木々の葉を通して柔らかくフィルターされ、緑の光に変わった。鳥のさえずりと木の葉が風に揺れる音だけが聞こえる静かな空間。しかし、その静けさの中にも、何か緊張感のようなものが漂っていた。
「足跡に注意して歩くんだ」ガルドは小声で指示した。「グレイウルフは通常のオオカミより大きい足跡を残す。そして、木の幹に引っかき傷がないか見てほしい」
一行は慎重に森の中を進んだ。ライルはコルの様子を注意深く観察していた。コルは時折耳をピクリと動かし、何かを感じ取っているようだった。
約一時間ほど歩いたところで、コルが突然立ち止まった。その金色の瞳はある方向を見つめ、低い唸り声を上げている。
「コル、何かあるの?」
ライルが尋ねると、コルは森の奥を指すように首を傾けた。
「あちらに何かあるようだ」ガルドは静かに言った。「皆、警戒して」
一行は慎重にコルが示した方向へ進んだ。やがて、小さな空き地に出ると、そこには衝撃的な光景が広がっていた。地面には何かが引きずられた痕跡と、大きな足跡。そして、木々には深い引っかき傷がついていた。
「間違いない、グレイウルフだ」ヨハンは声を低くして言った。「それも複数匹」
ガルドは膝をついて足跡を調べた。
「新しい痕跡だ。おそらく昨夜のもの。彼らはこの方向に向かっている……村の方角だ」
ライルの胸に不安が広がった。コルは空き地を慎重に歩き回り、様々な場所の匂いを嗅いでいる。突然、コルはある低木の前で立ち止まり、ライルを呼ぶように鳴いた。
ライルが近づくと、そこには赤い毛が引っかかっていた。
「ガルドさん、これは……?」
ガルドが見に来て、赤い毛を手に取った。
「羊の毛だ」彼の表情は暗くなった。「どこかの羊を襲ったようだな」
「北の村の羊が襲われたという報告がありましたね」ライルは思い出した。
「そうだ。彼らは獲物を求めて移動しているんだ」ガルドは辺りを見回した。「ここに罠を仕掛けよう。彼らが通る可能性が高い場所だ」
ガルドの指示の下、一行は罠の設置を始めた。まず、木と木の間に引っかけ線を張る。グレイウルフがそれに引っかかると、上から重い木の枠が落ちてくる仕組みだ。彼らは三カ所にそのような罠を設置した。
次に、メレンラビアのハーブを使った特殊な仕掛けも用意した。ハーブを燃やすと強い香りを放ち、グレイウルフを混乱させる効果がある。この香りの罠を森の入り口付近に配置することで、村への接近を妨げる計画だ。
「素晴らしい協力だ、皆」ガルドは満足げに言った。「これでグレイウルフの村への接近を遅らせることができるだろう」
作業の合間、ライルはコルの様子を気にかけていた。コルは常に警戒を怠らず、時折不安げな鳴き声を上げる。
「コルは何か感じているようだな」ヨハンが言った。「この子、本当に特別な存在だ」
「ええ」ライルは静かに答えた。「彼は『銀の守り手』なんです」
午後も遅くなり、日が傾き始めたころ、偵察隊は村への帰路についた。設置した罠が効果を発揮することを祈りながら、彼らは森を後にした。
村に戻ると、人々が進捗を聞くために集まってきた。ガルドは冷静に状況を説明した。グレイウルフが村に向かっていること、罠を設置したこと、そして今夜からは見張りを強化する必要があることを。
そして、意外なことにガルドはコルについても触れた。
「そして、みなさん。今日我々に同行してくれたのは、伝説の『銀の守り手』です。ライル君との特別な絆があるようだ」
村人たちはコルを見て、驚きと畏敬の念に満ちた表情を浮かべた。子供たちは特に興奮し、「すごい!」「本当に銀色だ!」と声を上げた。
「今夜から、村の周囲に見張りを立てます」ガルドは続けた。「二人一組で交代制にしましょう。万が一、グレイウルフが近づいてきたら、警鐘を鳴らしてください」
会議が終わり、村人たちが散っていく中、ライルはコルと共に家へと急いだ。フィリスが心配そうに待っていた。
「どうだった?」彼女は玄関で尋ねた。「無事で良かった」
「森でグレイウルフの痕跡を見つけたよ」ライルは状況を説明した。「彼らは確実に村に向かっているみたいだ」
フィリスは窓の外を見つめた。夕暮れが迫り、森は徐々に暗さを増している。
「コルがいてくれて良かったわ」彼女は静かに言った。「彼は神獣だから、普通の動物よりずっと敏感に危険を察知できるの」
コルはフィリスの側に寄り添い、彼女の手に頭をこすりつけた。二人の間には言葉なしの絆があるようだ。
「今夜は見張りがあるんだ」ライルは説明した。「僕も参加するつもりだよ」
「私も何かできることはないかしら」フィリスは真剣に言った。
ライルは少し考えてから言った。「フィリス、《天恵の地》のスキルを使って、村の周囲の地面に何か防御的な効果を与えることはできないかな?」
フィリスは目を輝かせた。「それはいい考えね! 私の力はまだ完全ではないけど、地脈を少し操作することはできるわ。夜になったら試してみましょう」
夕食を終えた後、三人は村の周囲へと出かけた。日が完全に沈み、星が輝き始める時間。ライルとフィリス(人間の姿に変装した)、そしてコルは村の北側へと向かった。
村の見張りを担当していたのは、鍛冶屋のドリアンとその息子だった。彼らはライルたちを見て手を振った。
「この辺りで」ライルはフィリスに小声で言った。
フィリスは頷き、周囲に誰もいないことを確認してから、両手を地面に置いた。彼女の手から微かな緑の光が広がり、地面に吸い込まれていく。
「地脈よ、守りの壁となれ……」
彼女の呪文のような言葉に応えるように、地面に一瞬だけ光の線が走った。それは村の周囲を円を描くように広がり、やがて消えた。
「これで少しは守りが強くなったわ」フィリスは立ち上がった。「魔獣が地脈の流れを乱すのを少しだけ防げるはず」
コルもその光の線に反応し、尾を振って喜んでいるようだった。
「ありがとう、フィリス」ライルは感謝した。
三人が家に戻る途中、コルが突然立ち止まった。その金色の瞳は森の方角を見つめ、耳はピンと立っている。
「コル、どうした?」
コルは低い唸り声を上げ、不安げな様子だった。フィリスも同じ方向を見つめ、眉をひそめた。
「何か近づいてきているわ」彼女は小声で言った。「まだ遠いけど……確かに」
遠くの森から、かすかに聞こえる遠吠えの声。それは通常のオオカミの声よりも低く、どこか不気味な響きを持っていた。
「グレイウルフの声だ」ライルは緊張した面持ちで言った。「今夜は来ないだろうけど……準備を怠るわけにはいかないな」
三人は急いで家に戻り、明日の準備を始めた。より多くのメレンラビアを集め、《天恵の地》のスキルで増強された野菜を村人たちに配り、体力をつけてもらう計画も立てた。
窓の外では満月が村を静かに照らし、遠くの森からは時折不気味な遠吠えが聞こえてくる。しかし、村の周囲には見張りの松明が灯り、そして目に見えないフィリスの地脈の守りが張り巡らされていた。
「明日がんばろう」ライルは静かに言った。
フィリスとコルはそれに頷き、三人は明日に備えて早めに休むことにした。