第19話「村の評判が広がる日々」

 市の日から数日が経ち、ライルの畑と「銀の守り手」の噂は村中に広がっていた。朝の光が差し込む窓辺で、ライルはフィリスとコルと一緒に朝食をとりながら、昨日村で聞いた話を伝えていた。

「村の人たちが僕の野菜を欲しがってるみたいなんだ」ライルは少し照れたような表情で言った。「メリアさんが『注文が入っている』って教えてくれたよ」

 フィリスは得意げに顎をしゃくった。「当然でしょ。あんたのスキルと私の力が合わさった野菜なんだから、普通のものとは違うわ」

 コルも嬉しそうに鳴き、テーブルの上を軽快に駆け回った。

「でも、どのくらい提供できるかな……畑はそんなに広くないし」ライルは考え込む。

「必要な分だけ育てればいいのよ」フィリスは口の端に付いたパン屑を指で拭いながら言った。「《天恵の地》なら、育つ速度も通常より速いんだから」

 朝食を終えると、ライルは畑の様子を確認するために外に出た。朝露に濡れた野菜たちは、昨日よりもさらに成長していた。ライルが地面に手を触れると、かすかな光が指先から広がり、土の中へと吸い込まれていく。

「ライル君! おはよう!」

 振り返ると、村のパン屋マーサが手を振っていた。彼女は50代半ばの温かみのある女性で、村一番の評判を持つパン屋を営んでいる。

「マーサさん、おはようございます」

「あのね、お願いがあるの」マーサは少し興奮した様子で言った。「あなたの野菜、特にあの立派なニンジンとカブを分けてもらえないかしら? 野菜パンを作りたいの」

「もちろんですよ」ライルは笑顔で答えた。「どのくらい必要ですか?」

「そうねぇ……まずは10本ずつくらいかしら」

 ライルは畑に行き、最も立派なニンジンとカブを選んで抜いた。《天恵の地》の影響で、どれも鮮やかな色合いと完璧な形をしている。

「こんなに立派なの!」マーサは野菜を受け取ると、目を丸くした。「これで作ったパンは特別なものになりそう! お代はもちろん払うわよ」

「いえ、必要ありません」ライルは首を振った。「先日の鍋会でいただいたパンのお礼です」

「そうはいかないわ」マーサは小さな袋を取り出した。「これは特別な小麦粉よ。王都からも注文が来るほどの品質なの。これで何か焼いてごらん」

 マーサが帰った後、フィリスが家から出てきた。

「人気者ね」彼女は微笑んだ。「でも、農作物で村人と交換するのって、なんだか本当の村人になった感じがしない?」

 ライルは空を見上げ、深呼吸した。「王都では考えられなかったな……」

 その日、ライルのもとには次々と村人たちが訪れた。

 まず、鍛冶屋のドリアンが昼前にやってきた。彼は屈強な体格に似合わず優しい声で、畑作業に適した新しい道具を見せてくれた。

「あんたの畑を見て思いついたんだ」ドリアンは手作りの小型シャベルを差し出した。「細かい作業にはこれが便利だぜ」

「すごい!」ライルはその道具の精巧さに感嘆した。「こんな繊細な作りの道具を見たことがない」

「へへ」ドリアンは頬を掻いた。「俺に野菜をちょっと分けてくれるなら、あんたにプレゼントだ」

 取引が成立し、ドリアンが立ち去った後、今度は村の年配女性ソフィアがやってきた。彼女は村で最も古い伝統を守る人物として尊敬されている。

「ライル坊や、聞いたよ。あんたの畑の作物は特別なんだって?」

「そんなことないですよ……」ライルは謙遜した。

「隠さなくていいよ」ソフィアは優しく微笑んだ。「この村には昔から言い伝えがあるんだよ。『大地の恵みを呼び寄せる者が現れる』ってね」

 ライルは息を呑んだ。それはまさに《天恵の地》のことのようだ。

「あの銀色の生き物も、きっと何かの前触れさ」ソフィアは続けた。「ところで、この古い種を持ってきたんだけど、あんたの畑なら育つかもしれないと思ってね」

 彼女が差し出したのは、小さな布袋に入った見慣れない形の種だった。

「何の種ですか?」

「昔この村で育てられていた『星の実』って果物さ。何十年も前に育たなくなっちゃってね」

 ライルは感謝して種を受け取った。《天恵の地》なら、絶えた種でも蘇らせられるかもしれない。

 午後になると、子供たちの姿が見えた。トムとマリィを先頭に、何人かの子供たちがライルの家に向かって走ってくる。

「ライルさーん!」トムは元気いっぱいに呼びかけた。「銀色のもふもふさんに会いたいです!」

 コルはドアの陰からその様子を見ていた。ライルが子供たちを見ると、コルにも目配せをした。

「今日は特別だよ」ライルは小声で言った。「子供たちだけなら、少しだけ会っても良いかな」

 コルはしばらく考えるようにじっとしていたが、やがて静かに玄関から出てきた。子供たちはその姿に大興奮した。

「本当にいた!」

「もふもふだ!」

 コルは慎重に子供たちに近づき、マリィの前で立ち止まった。マリィはおそるおそる手を伸ばし、コルの毛に触れた。

「やわらかい……」彼女の顔に珍しい笑顔が浮かんだ。

 子供たちは順番にコルの毛に触れ、歓声を上げた。コルも徐々にリラックスし、子供たちの間を歩き回り始めた。

「銀の守り手がライルさんと友達だなんて、すごいな」トムは目を輝かせて言った。

「秘密だよ」ライルは子供たちに念を押した。「大人たちには内緒だからね」

 子供たちは一斉に頷き、「約束する!」と口々に言った。

 その光景を見ていたフィリスは、家の窓から優しい表情でそれを見守っていた。

 夕方、ライルが市場に野菜を届けに行くと、そこで偶然バスランと再会した。

「おや、畑師のライル!」バスランは陽気に手を振った。「評判を聞いたよ。君の野菜が村で一番美味しいとか」

「そんなことないですよ」ライルは照れ隠しに頭を掻いた。

「謙遜するねぇ」バスランは笑った。「それに、銀色の守り手が君に懐いているという噂も聞いたよ」

 ライルは驚いて目を丸くした。「え? 誰から?」

「子供たちは秘密を守れないものさ」バスランはウインクした。「安心したまえ。私は旅人だ。村の秘密を外に漏らすようなことはしない」

 二人は共に歩きながら、ライルの畑や村のことについて語り合った。

「実は明日、もう一度君の家に寄りたいんだ」バスランは真剣な表情になった。「あの銀色の守り手に、もう一度会えたら嬉しい。何か贈り物も用意した」

「コルのために?」思わず名前が出てしまった。

「コル? そんな名前なのか」バスランは微笑んだ。「素敵な名前だね。私の故郷では、銀色の獣は幸運の象徴なんだ」

 翌朝、約束通りバスランがライルの家を訪れた。彼は小さな包みを持っていた。

「おはよう、ライル。そして……」バスランは家の中を見回した。「コルくんもいるかな?」

 フィリスが変装した姿で現れ、「おはようございます、バスランさん」と挨拶した。バスランはフィリスにも丁寧に会釈をした。

 コルは最初は警戒していたが、バスランの優しい声に誘われて、少しずつ近づいてきた。

「やあ、コルくん」バスランは膝をついて、包みを開けた。「これは遠い国で見つけた特別なブラシだよ。毛並みを整えるのに最高なんだ」

 銀色に輝く特殊な毛のブラシだった。バスランがそっとコルの背中にブラシをかけると、コルはうっとりとした表情になった。

「こんなに彼が人に懐くなんて珍しいわ」フィリスは感心した様子で言った。

「動物たちとは長い付き合いでね」バスランは微笑んだ。「世界中の珍しい生き物を見てきたけど、コルくんほど美しい銀色の毛を持つ子は初めてだよ」

 バスランはライルとフィリスに向き直った。

「実は提案があるんだ。次回の市の日に、ライルの野菜を私の屋台で一緒に売らないか? 君の畑の作物なら、きっと近隣の村々でも評判になるはずだ」

 思いがけない提案に、ライルは驚いた。「本当ですか?」

「無論だとも」バスランは頷いた。「それにバスラン・トーフの目に狂いはない。君の作物は特別なんだ。私にはそれがわかる」

 バスランが帰った後、ライルはフィリスとコルに笑顔で言った。

「信じられないな。王都では『無能』と呼ばれていたのに、今は村中から必要とされている」

「あたりまえでしょ」フィリスは胸を張った。「あなたにはスキルがあるし、何より誠実だもの。それに、私とコルみたいな素晴らしい仲間もいるしね」

 コルは嬉しそうに鳴き、バスランからもらったブラシを口にくわえて、ライルの足元に置いた。

「ありがとう、コル」ライルはブラシを手に取り、コルの毛を優しく撫でた。「みんな、本当にありがとう」

 夕暮れ時、ライルは畑の中央に立ち、村を見渡した。ランプの明かりが家々の窓から漏れ、穏やかな夕餉の時間を告げている。この風景の中に、今や彼の居場所がある。

 遠くから見ると、ライルの足元の土には淡い光が広がり、《天恵の地》の力が静かに村全体を包んでいるようだった。追放された土地で、彼は新たな家族と、村全体という大きな家族を見つけたのだ。