第17話「水路整備と村の発展」
朝の光が村を包み込む頃、ライルは村の中央広場に立っていた。数日前から頭の中で形になり始めた計画を、今日は村長のガルドに相談するつもりだった。
「ライル、おはよう」ガルドが広場の掃除をしながら声をかけてきた。「朝から何か用かい?」
「はい、ガルドさん。相談があって」ライルは一呼吸置いてから続けた。「村の水路について考えていたんです」
「水路?」ガルドは箒を持つ手を止めた。
「はい。北からの水の流れが、村の東側に偏っているように感じまして。西側の畑は水不足ぎみなのではないでしょうか」
ガルドは眉を上げ、感心したように頷いた。「よく気がついたね。確かに西側は水が少ない。特に乾季には苦労するんだ」
「新しい水路を作れば、水の供給がもっと均等になるんじゃないかと思って」
ライルはポケットから取り出した紙を広げた。そこには村の簡単な地図と、彼が考えた新しい水路の経路が描かれていた。
「なるほど」ガルドは地図をじっくりと見た。「これは良い案だね。でも、労力が必要だ。小さな村だから、人手が足りるかどうか……」
「それなら、私も手伝いますよ」
振り返ると、メリアが立っていた。畑の評判を聞いて、彼女も興味を持ったようだ。
「メリアさん、おはようございます」
「おはよう、ライル。村の水路整備なら、みんな協力すると思うわ。特に西側の農家は喜ぶでしょうね」
ガルドは考え込むように顎髭をなでた。「そうだね。村の共同作業として進めましょう。今週末に村民集会を開いて、みんなに相談してみよう」
ライルの胸が高鳴った。彼の提案が村の役に立つかもしれない。王都では無能扱いされた彼が、ここでは村を改善する知恵を評価されている。その違いに、彼は小さな喜びを感じた。
***
二日後、村民集会が開かれた。広場の中央に大きなテーブルが設置され、村人たちが集まってきた。ライルも少し緊張しながら、テーブルの近くに立っていた。
「みなさん、今日はライル君から提案があります」ガルドが集会を始めた。「村の水路整備についてです」
ライルは緊張しながらも、計画を説明した。北からの水の流れを西側にも効率よく引くための水路計画。地形を利用し、最小限の労力で最大限の効果を得る設計。魔導師養成院で学んだ流体理論がここで役立つとは思わなかった。
「なるほど」老農夫のジョナスが頷いた。「確かに西側は水不足だ。特に夏場は厳しい」
「でも、誰が掘るんだ?」別の農夫が尋ねた。「収穫の準備で忙しいというのに」
「みんなで少しずつやればいいじゃないか」村の大工マカラが言った。「一日に少しずつでも、続ければ完成する」
意見が飛び交う中、ライルは村人たちの表情を観察していた。懐疑的な顔もあれば、期待に満ちた顔もある。そんな中、一人の年配の女性が立ち上がった。
「私は賛成よ」彼女はしっかりとした声で言った。「私の畑は西側で、毎年水不足に悩まされてきた。少し労力を使っても、長い目で見れば村全体の利益になる」
その言葉をきっかけに、賛同の声が増えていった。最終的に、村人たちは水路整備を共同作業として進めることに合意した。
「よーし、決まりだ!」ガルドは満足げに手を叩いた。「明日から作業を始めよう。出られる人は朝、北の入り口に集合だ」
集会が終わると、ライルはガルドから肩を叩かれた。
「いい提案をありがとう。君のような若い頭脳は村にとって貴重だよ」
「いえ……」ライルは照れながらも嬉しさを隠せなかった。
***
翌朝、予想以上に多くの村人が集まった。男性だけでなく、女性や年配者、さらには子供たちまで、皆が何かしらの道具を持って来ていた。トムとマリィも小さなバケツを持って、はしゃいでいる。
「こんなに大勢……」ライルは驚いた。
「みんな、水は大切だからね」メリアは微笑んだ。「それに、あなたの畑の評判も関係してるわ」
「え?」
「あんなに作物が育つなら、私たちの畑でも同じことができるんじゃないかって。みんな期待してるのよ」
ライルは言葉に詰まった。《天恵の地》のスキルのことは言えないが、確かに水路が整備されれば、村全体の作物の生育も改善するはずだ。
ガルドの合図で、作業が始まった。まずは水路の経路に沿って印をつけ、その後で実際の掘削作業に入る。男性たちが鍬や鋤で土を掘り、女性や子供たちが小さなバケツで土を運び出していく。
ライルも鍬を手に取り、先頭に立って掘り進めた。王都では決してなかったような充実感が彼を満たしていく。皆が一緒に汗を流し、村を良くするために働いている——そんな連帯感は、彼にとって新鮮で温かいものだった。
昼頃、村の女性たちが昼食を運んできた。シンプルながらも心のこもった食事が、疲れた体に染み渡る。
「ライルさん、水が流れたら、もっと野菜が育つかな?」トムが目を輝かせて尋ねた。
「きっとそうなるよ」ライルは優しく笑った。「水があれば、畑はもっと元気になるからね」
マリィは黙って頷き、小さな手でライルの腕を引っ張った。「あのね……」彼女は小さな声で言った。「銀色の子……また見たよ」
「コル?」ライルは思わず口にしてから、慌てて言い直した。「あ、銀色の狐のこと?」
マリィは静かに頷いた。「うん……森の端で見てた……私たちのこと」
ライルは遠くの森の方を見たが、コルの姿は見えなかった。おそらく人が多いのを見て、隠れているのだろう。家に残ってもらうよう言ったのに、心配してついてきたのかもしれない。
午後の作業も順調に進み、日が傾き始める頃には、計画の約四分の一ほどの水路が完成していた。予想以上の進捗に、村人たちの表情も明るい。
「みんな、今日はご苦労様」ガルドが作業の終了を告げた。「明日も続けよう。来られる人は来てくれ」
村人たちが三々五々帰路につく中、ライルは完成した水路の一部を眺めていた。まだ水は流れていないが、数日後には北からの水がここを通り、西側の畑を潤すことになる。
「ライル!」
メリアが駆け寄ってきた。「急いで! コルが!」
「え?」
「森の入り口で子供たちと遊んでるわ。村人に見られる前に連れ戻さないと」
ライルは慌てて森の方へ走った。確かに、森の入り口近くでコルが数人の子供たちに囲まれていた。トムとマリィを含む子供たちは、コルのふわふわの毛に触れ、歓声を上げている。コルも嬉しそうに鳴いて、尻尾を振っていた。
「コル!」ライルは小声で呼びかけた。
コルは顔を上げ、ライルを見ると、少し申し訳なさそうな表情をした。
「すごいね! 銀の守り手が遊んでくれたよ!」トムが興奮した様子で言った。
「もふもふ……気持ちいい……」マリィも珍しく表情を緩めていた。
「子供たちと遊んでたの?」
「うん!」トムが元気よく答えた。「僕たちが水を運んでたら、突然現れたんだ! それで、触らせてくれたんだよ!」
コルは誇らしげに胸を張った。普段は人前に姿を現さないのに、子供たちには心を開いたようだ。
「そうか……でも、他の大人たちには内緒だよ」ライルは子供たちに優しく言った。「コル……じゃなくて、銀の守り手は神秘的な存在だから、みんなにバレちゃうと、もう来てくれなくなるかもしれないよ」
「わかった!」子供たちは口に指を当てて、秘密を守ることを約束した。
コルに目配せして、家に戻るよう促したライルは、子供たちと一緒に村へと帰った。
***
夕食時、ライル、フィリス、コルの三人は今日の出来事を振り返っていた。
「もうちょっとで大変なことになるとこだったじゃない」フィリスは偉そうに言った。「でも、子供たちと仲良くなれたのは、まあ悪くないわね」
コルは誇らしげに鳴いた。その柔らかな毛並みは夕日に輝き、まるで金色に染まったように見えた。
「明日からも水路作りは続くよ」ライルはコルの頭を撫でながら言った。「でも、家にいてね。フィリスと一緒に」
フィリスは軽く頷き、「わかったわよ」と答えた。「でも、あんたが村の人たちと頑張ってるの、ちゃんと見たいんじゃないかしら」
確かに、今日の作業中、ライルは何度か地面が微かに光るのを感じた。彼のスキルが村全体に良い影響を与えているのかもしれない。
「今日は疲れたよ」ライルは伸びをした。「でも、なんだか充実感があるな」
コルがライルの膝に飛び乗り、体を擦り寄せてきた。その柔らかな感触と温かさが、疲れた体を癒していく。フィリスも隣に座り、三人は静かな時間を過ごした。
窓の外では、夕焼けが村を優しく包み込み、遠くから聞こえる水の流れが、やがて村全体に広がっていくことを予感させていた。