第16話「畑の奇跡的成長」

 朝露が輝く早朝、ライルは畑に立ち、目の前の光景に息を呑んだ。昨日までとは明らかに違う。作物の葉は一回り大きく、色も鮮やかな緑に変わっている。小さなトマトの実がついた茎は、まるで一晩で数センチ伸びたかのようだった。

「これが《天恵の地》の力……」

 ライルが心の中で呟いた瞬間、足元の土が僅かに光を放った。その光は一瞬で消えたが、確かに何かが起きている証拠だった。彼は膝をつき、手のひらを土に押し当てた。土の感触はいつもより柔らかく、何かエネルギーが満ちているかのようだった。

「ライル、朝ごはんよ〜。さっさと食べに来なさい」

 フィリスの声がして振り返ると、彼女は小さな籠を持って畑の入り口に立っていた。その姿は神々しさを宿しつつも、どこか人間らしい親しみやすさがあった。

「フィリス、見てみて。昨日よりずっと成長してる」

 フィリスは畑に踏み入り、作物たちを眺めた。彼女の足元を通る土も、微かに輝きを放った。

「うん、すっごく元気ね。あんたのスキルがちゃんと届いてるってわけね」

 彼女が野菜の葉に触れると、その葉はより一層鮮やかな緑色に変わった。まるで応えるかのように、葉が風もないのに揺れる。

「私の力も……ちょっとずつ戻ってきてるみたい。でも、まだまだだわ〜」フィリスは少し寂しそうに呟いた。

 二人が畑の様子を確認していると、銀色の毛並みが目に入った。コルが畑の中を走り回り、時々立ち止まっては地面の匂いを嗅いでいる。彼の足跡には微かな金色の光が残り、その光は地面に吸収されていった。

「コルも力を取り戻しつつあるんだね」

 ライルがそう言うと、コルは嬉しそうに鳴き、二人の元へ駆け寄ってきた。その体から放たれる柔らかな温もりは、心地よく安心感をもたらした。

「さて、朝ごはんにしよう。今日はメリアさんからもらったパンと、昨日取れたハーブのスープよ」

 三人は縁側に腰かけ、朝の光を浴びながら食事を始めた。パンの香ばしい香りとハーブの爽やかな風味が混ざり合い、シンプルながらも心温まる朝食だった。コルも小さな木の皿から、彼用のスープを舐めている。

「うん、おいしい!」フィリスは目を輝かせた。「ライルの料理、日ごとにレベルアップしてない? 神の舌を持つ私が保証するわ」

「そうかな? 同じレシピなんだけど……」

「これも《天恵の地》の力……ってやつかしら? 地脈の加護を受けた食材は特別なのよ」

 フィリスの発言に、ライルは考え込んだ。確かに、同じ材料でも以前より味わい深く感じる。もしかしたら、畑の土や水、そして育つ作物すべてに彼のスキルが影響しているのかもしれない。

 朝食を終え、ライルが皿を片付けていると、畑の方から人の声がした。

「おや、ライルさん! おはよう!」

 声の主は村の老農夫ジョナスだった。彼の横には数名の村人たちがいて、みな畑の方を興味深そうに見ている。

「ジョナスさん、皆さん、おはようございます」

 ライルは彼らに近づき、挨拶した。コルは人々を見るとすぐさま家の中へと逃げ込み、フィリスも少し距離を置いて様子を見ていた。

「これはすごいねえ」ジョナスは感嘆の声を上げた。「一週間前に見た時より、ずっと立派になってる。こんなに早く成長するなんて、見たことないよ」

「そうですか?」ライルは少し照れながらも、誇らしさを感じた。

「ええ、本当に珍しい。うちの畑なら、こんな生育具合になるのに、あと二週間はかかるよ」

 ジョナスの隣にいた女性が、トマトの葉に触れた。

「みずみずしくて、元気があるわ。病気の影も見えないわね」

「土の様子も違う」別の男性が地面を指さした。「こんなにふかふかした黒土は、何年も耕さないと出来ないはずだが……」

 村人たちがあれこれと畑を観察する中、ライルはフィリスと目を合わせた。彼女は微笑んで小さく頷いた。二人だけの秘密——《天恵の地》の力が、この畑を特別なものにしていることを。

 畑を見に来た村人は次第に増え、皆がライルの畑の不思議な成長ぶりに驚きの声を上げた。中には子供たちも混じり、彼らは生い茂った葉の間を走り回って遊んでいる。

「ライルさーん!」トムが元気よく駆け寄ってきた。「すごいよ! 畑が魔法みたいに大きくなってる!」

 彼の妹マリィも、恥ずかしそうに小さく頷いている。

「うん、びっくりしたよ」ライルは子供たちの頭を優しく撫でた。

「ねえねえ、この赤いのって、もうすぐ食べられるの?」トムが小さなトマトの実を指さした。

「うん、もう少ししたら。甘くておいしいトマトになりそうだよ」

「食べたい!」トムが目を輝かせた。

 マリィは静かに畑を見つめ、小さな声で言った。「きれい……お花みたい……」

 彼女の言葉に、ライルは作物たちをあらためて見渡した。確かに、朝日を浴びた葉は宝石のように輝き、全体が生命の喜びに満ちているようだった。

 村人たちは次第に日課のために散っていったが、ライルの畑の評判は村中に広がっていった。昼過ぎには村長のガルドまでやってきて、感心した様子で畑を見学していった。

「神秘的だねえ」ガルドは帰り際にライルの肩を叩いた。「君が来てから、村にいいことが増えた気がするよ。これからが楽しみだ」

 夕方、ライルは畑の中央に立ち、一日の変化を確認していた。朝と比べても、さらに作物は成長している。特に、彼が最も声をかけていたトマトの茎は、既に支柱が必要なほど大きくなっていた。

「ほんとに不思議ね……。あんたのスキル、私が予想していたよりずっと優れてるわ」フィリスが隣に立って言った。

「うん……」ライルは手のひらを見つめた。「でも、王都では全く発現しなかった。なぜだろう」

「地脈の流れってやつよ。都会には強い地脈が流れてないの。大勢の人が住んでて、魔力を消費するから……でも、ここは違う。豊かな自然と強い地脈があるから、あんたのスキルが輝けるってわけね」

 ライルはフィリスの言葉を噛みしめながら、畑全体を見渡した。王都では無能と呼ばれた自分が、ここでは特別な力を発揮できる。それは皮肉であると同時に、不思議な安堵感をもたらした。

「明日は支柱を立てないとね」ライルは呟いた。「成長が早すぎて、茎が折れてしまいそうだから」

 夕日が畑を赤く染める中、ライル、フィリス、そしてコルの三人は満足げに今日の成果を眺めていた。村人たちの驚きの声が、ライルの胸に小さな自信を灯していた。

 コルが何かを感じ取ったように耳をピクリと動かした瞬間、風が吹き、畑全体がゆっくりと揺れた。その動きはまるで畑自体が呼吸をしているかのようだった。

 これが《天恵の地》の力——ライルの新しい人生の始まりだった。