第13話「薬師メリアとの偶然の出会い」
朝の柔らかな光が窓から差し込み、ライルの小さな家を優しく照らしていた。テーブルでは、フィリスがじっと何かを見つめている。
「ライル、これは何?」
フィリスが指さしたのは、窓辺に置かれた小さな植物だった。細い茎に、淡い紫色の花が咲いている。
「ああ、それはセージだよ。メリアさんが昨日くれた薬草」
ライルが説明すると、フィリスは興味深そうに身を乗り出した。
「薬草? 人間の治療に使うものなのね」
「そうだよ。風邪や喉の痛みに効くんだ。メリアさんは村の薬師で、いろんな薬草に詳しいんだ」
フィリスはセージの葉に触れ、その感触を確かめた。
「ふむ、これは……地の息吹がちょっとだけ残っているわ」フィリスの表情が明るくなった。「私も薬草には興味があるの。神としては当然よね♪」
コルがテーブルの下から出てきて、フィリスの足元で小さく鳴いた。朝の日課である散歩に行きたいという合図だった。
「そうね、今日も畑の様子を見に行きましょう」フィリスは立ち上がり、堂々とした仕草で言った。
「そうだね、いい天気だし」ライルは窓の外を見た。
三人が外に出ると、畑では《天恵の地》の効果で、野菜たちが生き生きと育っていた。ジャガイモの葉は濃い緑色に輝き、ニンジンの葉もふさふさと茂っている。
「ライル、見なさい」フィリスが畑の端を指さした。「新しい芽が出ているわ」
確かに、昨日まで何もなかった場所に、小さな緑の芽が顔を出していた。
「おかしいな、ここには何も植えていないはずなのに……」
「私の力に違いないわ」フィリスは少し照れたように、でも誇らしげに微笑んだ。「地脈を通じて、眠ってた種が起きちゃったのよ。すごいでしょ?」
コルが嬉しそうにその芽の周りを駆け回り、尻尾を振る。その姿に、ライルとフィリスも自然と笑顔になった。
「ねえ、ライル」フィリスが突然真剣な表情になった。「そのメリアという人が集めている薬草、見に連れていきなさいな」
「薬草? メリアさんなら、今日も森で採集してるかもしれないけど……」
「行くわよ」フィリスの目が輝いた。「神として、この土地の植物をちゃんと知っておくのは私の務めでもあるし」
ライルは少し考え込んだ。村人の目を気にして、フィリスとコルは基本的に家の周りにとどまっていた。しかし、森なら人目も少ない。
「そうだな、行ってみようか。でも、村人に会ったら……」
「心配しなくていいの」フィリスは胸を張った。「私は親戚のフィリス、で通せばいいだけよ。変装だってばっちりだもん」
彼女は普段から村人に見られる時は、髪の色を抑えた普通の服装に変えていた。コルについては……ライルは頭を悩ませた。
「コルをどうするかな……」
コルは理解したように、素早く低い茂みに隠れ、銀色の毛並みを葉の間に紛れさせた。そして、「これでどうだ」とでも言うように、ライルを見上げた。
「なるほど、森の中なら隠れるのも上手そうだね」
「当然よ。コルは賢いのだから」フィリスは誇らしげに言った。
準備を整え、三人は森へと向かった。村を出る時は慎重に人目を避け、裏道を通って森の入り口へ。森に入ると、木漏れ日が作り出す光と影の模様が地面を彩り、鳥のさえずりが心地よく響いていた。
「なんて美しい森かしら」フィリスは深呼吸した。「このあたりは地脈の流れが素晴らしいわ。さすが私の領域ね」
コルは森の中ではすっかりくつろいだ様子で、時折小動物を追いかけたり、珍しい匂いを嗅いだりしながら、二人の周りを走り回っていた。
「コル、あまり遠くに行かないでね」
ライルが声をかけると、コルは了解したように一度鳴き、視界から離れないように気をつけていた。
「心配しすぎよ、ライル」フィリスは少し得意げに言った。「コルは私の使いなのだから、迷子になんかならないわ」
森の奥へと進むにつれ、様々な植物が目に入ってきた。フィリスは立ち止まっては、それぞれの植物に触れ、時に目を閉じて感じ取るように佇んでいた。
「この森の植物たちは、昔より少し弱っているわね」彼女はつぶやいた。「地脈の力が弱まっているせいね。神としては看過できないわ」
「地脈が弱まっている?」
「そうよ。神々が姿を消してから、世界の地脈は徐々に弱くなっているの」フィリスの表情が少し曇った。「だから、私たちみたいな存在が必要なんだと思うし……私がいなくなったら、この森だってもっと弱っちゃうもん」
フィリスの言葉に、ライルは改めて自分のスキル《天恵の地》の重要性を感じた。
しばらく歩いていると、前方から草を分ける音が聞こえてきた。ライルは立ち止まり、コルに警戒するよう目配せした。コルはすぐに茂みに身を隠した。
「何の音?」フィリスも立ち止まり、耳を澄ました。
草むらから現れたのは、薬草籠を持ったメリアだった。
「あら、ライルさん!」
メリアは驚いた表情でライルに気づき、そしてすぐにフィリスにも目を向けた。
「こんにちは。あなたは……?」
「ああ、メリアさん、こちらは僕の親戚のフィリスです」ライルは少し緊張した声で言った。「薬草に興味があって、見に来たんです」
「まあ、そうでしたか」メリアは笑顔でフィリスに手を差し出した。「はじめまして、村の薬師のメリアです」
「お会いできて光栄です」フィリスは丁寧にお辞儀をした。彼女は村人の前では慎重に振る舞おうとしていた。「ライルからあなたの薬草の知識はすばらしいと聞いているわ」
メリアはフィリスに親しげに話しかけ、二人はすぐに薬草の話題で盛り上がり始めた。ライルはほっとして、周囲を見回した。コルはどこに隠れたのだろう。
「この青い花は解熱作用があって、それからこの根は胃の調子を整えるのに……」
メリアが熱心に説明する中、突然、茂みが動いた。ライルの心臓が飛び上がる。
「あら、何かしら?」
メリアが茂みに気づき、近づいていく。ライルは焦ったが、止める理由も思いつかず、ただ見守るしかなかった。フィリスは少し緊張した表情で茂みを見つめていた。
茂みが再び動き、そこからコルの銀色の頭が覗いた。
「あっ!」
メリアが小さく悲鳴を上げた。コルは驚いて完全に姿を現し、その銀色の毛並みが陽光を受けて輝いた。
「これは……銀の守り手!?」
メリアは目を見開いて立ちすくんだ。コルも動かず、メリアをじっと見つめている。
「メリアさん、落ち着いて」ライルは急いで二人の間に立った。「これはコルです。怖くありません」
「こ、これが村で噂の……」メリアの目は輝きに満ちていた。「こんなに近くで見るのは初めて……」
フィリスはライルを見つめ、静かに頷いた。信頼できる人に真実を伝える時が来たのかもしれない。
「コル、こっちにおいで」フィリスは優しく命じた。コルは素直にフィリスの元へ戻り、彼女の隣に立った。
「メリアさん、実は話があるんです」ライルは決心した表情で言った。「でも、ここだけの秘密にしてもらえますか?」
メリアは興味津々の表情で頷いた。コルはゆっくりとメリアに近づき、彼女の手の匂いを嗅いだ。
「もふもふ……」思わずメリアがつぶやくと、コルは少し体を傾けた。「触っても大丈夫?」
「ええ、コルは友好的ですから」
メリアがそっとコルの頭に手を伸ばすと、コルは目を細めて気持ちよさそうにした。
「なんて柔らかい毛……」メリアは感嘆の声を上げた。「本当に神獣のようだわ」
「神獣……ですか?」ライルは驚いて聞き返した。
「ええ、伝説では銀の守り手は神様に仕える獣だとされているわ」メリアはコルを撫でながら言った。「まさか本当だったなんて……」
フィリスとライルは視線を交わした。メリアは既に真実に近づいていた。フィリスは一歩前に出て、背筋を伸ばした。
「メリアさん」フィリスの声には急に威厳が宿った。「あなたに真実をお見せしましょう。驚かないでくださいな」
フィリスは自分の姿を一瞬だけ本来の神々しい姿に戻した。翡翠色の長い髪と、純白の衣装。メリアは息を呑んだ。
「あなたは……」
「私はフィリス、地を司る神よ」彼女は静かに、だが誇り高く言った。「ライルの畑で長い封印から解かれ、彼と契約を結んだの。他の人には秘密にしてね」
メリアの目は大きく見開かれ、しばらく言葉が出なかった。そして突然、彼女は膝をついた。
「これが村に起きている奇跡の正体……」
「メリアさん、そんな必要はありません」ライルは慌ててメリアを立ち上がらせた。「普通に接してください。僕たちはこの村でひっそりと暮らしていきたいんです」
「そうよ、お辞儀は結構よ」フィリスも慌てて言った。「私だって今は……普通の女の子みたいに暮らしたいだけなんだもん」
メリアは混乱しつつも、ゆっくりと状況を整理しているようだった。
「だから畑の作物があんなに良く育つのね……」
「ライルの《天恵の地》と、私の神としての力がうまくかみ合ってるのよ」フィリスは説明した。「すごいでしょ? でも、この秘密は守ってほしいわ。命令じゃないけど、お願いね」
メリアは深く息を吸い、決意の表情で頷いた。
「ええ、もちろん。村の薬師として、秘密は守り通します」彼女は真剣な表情で言った。「でも、どうして私に?」
「あなたは信頼できる人だからです」ライルは微笑んだ。「それに、コルがあなたを選んだようだし」
「そうね」フィリスも微笑んだ。「コルは人の心がわかるの。良い人だって見抜いたのね」
コルはメリアの側に寄り添い、彼女の手を軽く鼻先で突いた。メリアの頬に涙が光った。
「こんな栄誉が私に……」
「それほど緊張しなくていいのよ」フィリスは少し照れくさそうに言った。「私だって、まだ力が十分に戻ってないし。これからゆっくり世界のこと、教えてほしいな」
四人は森の小さな空き地に腰を下ろし、ゆっくりと話を続けた。フィリスの封印と目覚め、ライルとの契約、《天恵の地》のスキル、そしてコルの存在について。メリアは熱心に聞き入り、時折質問を投げかけた。
太陽が高く昇る中、森の中で特別な秘密を共有する四人の姿があった。木漏れ日が彼らを優しく包み込み、新たな絆の始まりを祝福しているかのようだった。