第12話「神様と神獣の秘密」

 朝日が差し込む窓辺で、ライルは穏やかな表情でフィリスとコルを見つめていた。神様と神獣との暮らしが始まって一週間。村での生活にも少しずつ慣れてきたところだが、彼らの素性については、まだ知らないことが多かった。

「フィリス、少し聞いてもいいかな」

 朝食の後片付けを終えたフィリスは、麦わら色の髪をなびかせて振り返った。彼女は人間の女性の姿をしていたが、その瞳の奥には人知を超えた何かが宿っていた。

「ん、いいよ。あんたは私の契約者なんだから、ちょっとくらい教えてあげるわ」フィリスは優しく微笑んだ。

 ライルは言葉を選びながら切り出した。

「あなたが"地の女神"だというのはわかったんだけど、他にも神様はいるの?」

 フィリスは窓際の椅子に腰掛け、遠くを見るような目をした。コルも、会話の内容を察したのか、二人の間に座り、金色の瞳で交互に見つめている。

「むかしはね、七柱の神様がこの世界にいたんだよ」

 フィリスの声は少し物憂げで、懐かしさを含んでいた。

「地・火・水・風・光・闇、そして時の七柱。私は地を司る神、フィリスなの」

「七柱……」ライルは呟いた。「でも、今はどこにいるの? 他の神様たちは」

 フィリスの表情に影が差し、長いまつげが下を向いた。

「私以外の神様が今どこにいるのか、わからないの」彼女は小さな声で言った。「約百年前、神々は"離反"って呼ばれる出来事で姿を消しちゃったの。私も長い間、封印されてたんだよ……」

「離反?」

 フィリスはゆっくりと頷き、両手を膝の上で組んだ。

「詳しい記憶があいまいなんだけど……」彼女は切ない表情で言った。「神々は何かを封印するために力を使って、そして姿を消したって記憶してるの。私はその過程で、この地に封印されちゃったみたい」

 コルが小さく鳴き、フィリスの手をそっと鼻先で突いた。フィリスは微笑み、コルの頭を優しく撫でた。

「でも、なぜコルだけが先に目覚めて、僕を導いたの?」

 その問いに、フィリスは柔らかな表情でコルを見つめた。

「コルは私の神獣なの。神獣は神の意志の一部が形になった存在なんだから。私が封印されていても、コルは封印の弱まりを感じて目覚めて、私を解放してくれる人を探してたんだね」彼女は優しく笑った。

 コルは誇らしげに胸を張った。その仕草があまりにも人間の子どものようで、ライルは思わず笑みを浮かべた。

「コルはまだ子どもなの?」

「そうだね。神獣は成長するの。今はまだ小さいけど、力が全部戻れば、もっと大きく、そして……」

 フィリスの言葉が途切れた瞬間、コルが突然立ち上がり、窓の外を見つめた。ライルも目を向けると、村の子どもたちが家の前を通り過ぎていくのが見えた。

「トムとマリィだ。でも、コルを見られたら大変だ……」

 ライルが慌てる前に、コルはすでに動いていた。銀色の毛並みを持つ子狼は、見事な俊敏さで部屋の影に身を隠した。その動きは自然で、まるで長年の習慣のようだった。

「すごい……コルは人に見られないよう気をつけているんだね」

 フィリスはにっこりと笑った。

「コルって、けっこう賢いんだから。神獣は危険を察知する能力に長けてるの。それに……」

 彼女は少し恥ずかしそうに指先を組み合わせた。

「私たちの存在を隠さなきゃいけないのは、私のせいでもあるのよ。神としてまだ力が弱くて、正体を隠すための強力な魔術が使えないの」

 ライルは胸の内で安堵した。彼女が「力が弱い」と言っているのは、彼には幸いなことだった。もし彼女が全盛期の神の力を持っていたら、この平穏な暮らしはなかったかもしれない。

 窓の外では、村が朝の活気に包まれ始めていた。鍛冶屋からは金属を打つ音が、広場からは商人たちの声が聞こえてくる。そんな日常の音に混ざって、コルが小さく鳴いた。

「ね、フィリス。あなたはいずれ神として目覚めて、どこかへ行ってしまうの?」

 ライルの問いかけに、部屋が一瞬静まり返った。コルもフィリスも、じっとライルを見つめている。

「……それは、私にもわからないのよ」

 フィリスの声は静かだった。

「他の神々が何のために姿を消したのか、私が何のために封印されていたのか。その理由がわからなければ、私の使命もわからないの」

 彼女はそう言って、窓から差し込む陽の光に手をかざした。

「でも、今はここにいることしかできないの。ライルのスキル《天恵の地》と私の神性は強く繋がってるのよ。あなたがいるこの村で、私の力は最も安定するの」

 ライルはほっとした表情を浮かべた。彼の内なる声が囁いていた。「彼女たちが去ってしまうのではないか」という不安が、少し和らいだ気がした。

「なら、しばらくは一緒に暮らせるんだね」

「はい。それに……」フィリスは少し照れたように頬を染めた。「ここの暮らし、けっこう好きよ」

 コルも同意するように鳴き、ライルの膝に前足をかけてきた。銀色の毛並みに触れると、驚くほど柔らかくて温かい。「もふもふ」という言葉が、これほどぴったりな存在はいないだろう。

 ライルがコルの背中を撫でていると、突然、彼の胃が大きな音を立てた。

「あ、そうだ。お昼の準備をしないと」

 彼は立ち上がり、台所に向かった。畑で採れた野菜と、市場で買ってきた肉を使って、シチューを作る予定だった。

「ライル、何を作るの?」

「野菜のシチューだよ。フィリスが好きだった味付けで」

「わあ!」フィリスの目が輝いた。「お手伝いします!」

 前回、彼女が「お手伝い」した時の台所の惨状を思い出し、ライルは冷や汗を流した。

「あ、いや、大丈夫だよ。フィリスはコルと一緒に……」

 言い終わる前に、フィリスはすでにエプロンを身につけ、張り切っていた。

「前回よりうまくできるから! コル、見ていてね。私の成長を!」

 コルは「やれやれ」というような表情で耳を垂らし、安全な距離から二人を見守ることにした。

「じゃあ、野菜を切るところからやってみようか」

 ライルは諦めたように包丁とまな板を用意した。フィリスに教えながら調理するのも、この共同生活の一部なのだろう。

 フィリスは舌を少し出して集中しながら、ニンジンを切り始めた。その姿は神というより、料理を覚えたての少女のようだった。

「そうそう、もう少し均等に……あ、指を切らないように気をつけて」

「ライルは料理上手なのね。どうしてそんなに詳しいの?」

「えっと、王都にいた頃は、魔導士候補生として研究所に住み込んでたんだ。そこでは自炊が基本だったから」

 フィリスは手を止め、驚いたように見上げた。

「ライルは魔導士だったの?」

「いや、『候補生』だよ。しかも……」彼は少し苦笑した。「スキルが発現しないから、『無能』だって決めつけられてね」

「ひどい!」フィリスの声が高くなった。「ライルには《天恵の地》という素晴らしいスキルがあるのに!」

「うん、でも当時は目覚めてなかったから。だからこの村に追放されたんだ」

 追放という言葉を口にした瞬間、ライルは不思議な感覚に包まれた。かつての苦しみはあったが、今ではむしろ感謝していた。もしあの追放がなければ、フィリスとコルに出会うことはなかったのだから。

 シチューの仕込みを終え、鍋を火にかけた。やがて部屋中に野菜と肉の香ばしい香りが広がり始めた。コルが小さく鳴き、期待に満ちた目でライルを見上げる。

「もうちょっと待っててね、コル」

 神獣と言えど、美味しい食事の前では子どものようだ。フィリスもコルも、日常の小さな喜びを素直に表現する。その姿に、ライルは心が温かくなるのを感じた。

「ねえ、フィリス。この村でこれからどう暮らしていくか、考えた?」

 鍋をかき混ぜながらライルが尋ねた。

「そうね……」フィリスは窓の外の村を見つめながら言った。「村の人たちには私たちの正体は明かせないけど、少しずつライルの協力者として認めてもらえたらいいな」

「僕も同じこと考えてた。《天恵の地》のスキルで村の役に立ちながら、フィリスとコルの存在も少しずつ受け入れてもらえるように」

「ライルのスキルは本当にすごいのよ。でも……」フィリスは少し心配そうな表情を浮かべた。「王都の人たちが、あなたのスキルを知ったら、追放を撤回しようとするかもしれないわ」

「その時は……」

 ライルは一瞬考え込み、そして確信を持って答えた。

「断るよ。僕の居場所はここだから」

 その言葉にフィリスは微笑み、コルも嬉しそうにライルの足元で丸くなった。外では村の鐘が正午を告げ、木々の間から差し込む陽の光が部屋を黄金色に染めていた。

「お昼ができたよ」

 ライルはシチューを三つの器に分け、テーブルに並べた。湯気と共に立ち上る香りに、フィリスとコルの目が輝いた。

「いただきます!」

 三者三様の声と鳴き声が部屋に響き、小さな家は温かな空気に包まれた。神様と神獣との秘密の共同生活は、こうして静かに続いていくのだった。