第9話「封印石の発見」
朝露が輝く早朝、ライルは前日に子狼から教えられた銀色の物体を机の上に置き、じっと観察していた。それは手のひらに収まるほどの大きさで、表面には不思議な模様が刻まれている。光の加減によって銀色に煌めくその物体は、どこか神秘的な雰囲気を漂わせていた。
「これが何なのか、もっとよく調べたいな」
ライルは物体を様々な角度から眺め、指でなぞった。表面の刻印は言語のようでもあり、単なる装飾のようでもある。王都の学院で学んだどの文字にも似ていなかった。
朝食のスープを飲み終え、ライルは畑に出ることにした。今日も作業を進めなければならない。しかし心の片隅では、あの銀色の子狼が再び現れないかという期待があった。
畑に出ると、種を植えた場所からは小さな芽が顔を出し始めていた。毎日水をやり、丁寧に世話をしてきた成果だ。
「おはよう、芽たち」
思わずそう声をかけながら、ライルは水やりを始めた。朝の光を受けて、水滴が葉の上で宝石のように輝く。そんな小さな美しさに心を奪われていると、微かな物音が聞こえた。
振り返ると、そこには前日出会った銀色の子狼が立っていた。
「やあ、また来てくれたんだね」
ライルは優しく声をかけた。子狼は前日よりも警戒心が薄れたようで、すぐには逃げなかった。金色の瞳でライルをじっと見つめ、何かを伝えようとしているようだった。
「昨日の物体のことかな? 持ってきたよ」
ライルはポケットから銀色の物体を取り出した。子狼の目が輝き、一歩近づいてきた。
「これが何か知りたいんだけど、教えてくれる?」
子狼は軽く鼻を鳴らし、体を低くして畑の奥へと歩き始めた。そして振り返り、ライルを見た。まるで「ついてきて」と言っているようだった。
「案内してくれるのかい?」
子狼は再び振り返り、畑を超えて森の方へと向かった。ライルは水やりの道具を置き、子狼の後を追うことにした。
森の入り口に近づくと、子狼は足を止め、ライルが追いつくのを待っていた。そして再び歩き始め、時折振り返りながら、ライルを導いていった。
「狼の案内人か。童話みたいだな……」
ライルは微笑みながら、子狼の後を追った。森の中はまだ朝露が残り、日差しが木々の間から漏れて、幻想的な光景を作り出していた。小鳥のさえずりと風の音だけが聞こえる静かな空間。
子狼はときどき立ち止まり、辺りの匂いを嗅ぎ、進路を確認しているようだった。その姿は野生の優美さがあり、同時に不思議な知性を感じさせた。
「君には名前があるのかな」
ライルがそう問いかけると、子狼は振り返り、一瞬だけライルの目を見た。口が利けない動物に名前を尋ねても仕方ないのに、ライルはその金色の瞳に、何か応答を期待してしまう自分がいた。
森の中を15分ほど歩いた頃、子狼は開けた小さな空き地で足を止めた。そこには大きな樹が一本だけ立っており、その根元には苔むした石が幾つか並んでいた。
子狼はその石の一つに近づき、前足で土を掻き始めた。昨日と同じような行動だ。
「ここに何かあるの?」
ライルは子狼の側に膝をつき、観察した。子狼は懸命に土を掘り、時々ライルを見上げては、また掘り続ける。その姿には切迫感があった。
「手伝うよ」
ライルは子狼の傍らで掘り始めた。柔らかい森の土は手でも掘れたが、少し深くなると根や石が混ざり始め、掘るのが難しくなった。
「少し待っていて。道具を取りに行ってくる」
ライルが立ち上がると、子狼は不安そうな様子を見せた。
「大丈夫、すぐ戻るから」
家に駆け戻り、小さなシャベルと袋を持って再び森へと急いだ。子狼は依然としてその場所で待っており、ライルが戻ってくると安心したように鼻を鳴らした。
「さあ、続きをやろう」
ライルはシャベルで掘り進めた。子狼も側で手伝い、二人で協力して掘り進む姿は不思議な光景だった。
しばらく掘り続けると、シャベルが何か固いものに当たった。
「何かある!」
慎重に土を取り除いていくと、大きな石のような物体が姿を現した。しかし、ただの石とは違う。表面は滑らかで、昨日見つけた小さな物体と同じような模様が刻まれていた。そして最も驚くべきことに、石全体が微かに銀色に輝いていたのだ。
「これは……」
ライルは息を呑んだ。子狼も掘るのを止め、その石をじっと見つめていた。
完全に掘り出すと、その石は想像以上に大きかった。直径約50センチほどの円盤状で、厚さは15センチほど。表面全体に複雑な刻印が施され、中央部分はやや凹んでいた。
「これが昨日の物体と関係あるのかな」
ライルはポケットから小さな銀色の物体を取り出した。子狼は熱心にその様子を見守っていた。物体を石の中央にある凹みに近づけると、驚くべきことに、それはぴったりとはまり込んだのだ。
「合うんだ!」
物体が石にはまった瞬間、かすかな光が走り、刻印の一部が青白く光った。ライルは驚いて手を引っ込めたが、すぐに光は消え、元の静かな石に戻った。
「いったい何なんだ、これは……」
子狼はライルの反応を見て、ゆっくりと石に近づいた。そして驚くべきことに、その石に寄り添うように体を横たえたのだ。まるでその石を守るかのような姿勢だった。
「これは大切なものなんだね」
ライルは子狼と石を交互に見た。子狼の金色の瞳は真剣そのもので、その石の重要性を物語っていた。
「守ろうとしてるんだな。この石を」
子狼はわずかに頷くような仕草を見せた。ライルはその姿に心を打たれた。この子狼は単なる野生動物ではない。何か特別な使命を持った存在なのかもしれない。
「でも、これは何の石なんだろう……」
ライルは石の表面を丁寧になぞった。刻印は何かの言語らしいが、彼の知識ではまったく読めない。中央にはまった小さな物体は鍵のようにも見え、この石が何かの「扉」または「封印」であることを示唆していた。
「封印石……そんな感じがするな」
子狼は耳をピクリと動かし、ライルの言葉に反応した。「封印石」という言葉が何か意味を持つのだろうか。
ライルは考え込んだ。こんな不思議な石を村に持ち帰るべきだろうか。それとも、子狼が望むようにここに残すべきだろうか。石は大きく重い。一人で運ぶのは難しそうだ。
「とりあえず、村長に相談してみようか。ガルドさんなら何か知ってるかもしれない」
ライルがそう言うと、子狼はやや不安そうな様子を見せた。
「心配しないで。この石の場所は秘密にしておくよ。でも、これが何なのか、少し調べてみたいんだ」
子狼はしばらく考えるように沈黙し、やがてゆっくりと石から離れた。そして再びライルを見つめ、軽く頭を下げるような仕草をした。それは信頼の印のようにも見えた。
「ありがとう。必ず戻ってくるよ」
ライルは立ち上がり、場所を記憶するために周囲の特徴をよく観察した。大きな樹、独特の形をした岩、空き地の様子。そして、念のため自分の靴紐の一部を近くの小枝に結びつけた。
「目印代わりにね」
子狼はライルの行動をじっと見守っていた。その金色の瞳には知性と、何か言葉では表せない深い感情が宿っているように見えた。
「じゃあ、また来るね」
ライルが村に戻ろうとすると、子狼は突然ライルの前に立ちはだかった。そして、ポケットから出した小さな銀色の物体を見た。
「これ? これも持っていくといいのかな?」
子狼は首を横に振るような動きをした。どうやらその物体は石と一緒にしておくべきらしい。
「分かった、戻しておくよ」
ライルは物体を再び石の凹みにはめ込んだ。すると先ほどと同じように、かすかな光が走った。しかし今度は、その光が徐々に消えていき、物体が石に溶け込んでいくように見えた。
「な、なんだ……」
物体は完全に石と同化し、表面がなめらかになった。中央の凹みも消え、まるで初めからそうだったかのようだった。
子狼は満足そうに鼻を鳴らし、石の側に戻った。そして再び守るように寄り添った。
「守っててくれるんだね。分かった、今日はこれで」
ライルは子狼に軽く手を振り、森を出ることにした。振り返ると、子狼はまだ石の傍らで、じっとライルを見送っていた。その姿は神聖な番人のようにも見えた。
***
村に戻る道すがら、ライルの頭は疑問でいっぱいだった。銀色の石と子狼の関係、刻まれた不思議な文字、そして小さな物体が石に溶け込む現象。これらは彼の知識では説明できないことばかりだった。
「村長に聞いてみよう……でも、どう説明すればいいんだろう」
村が見えてきた頃、ライルは畑での仕事を思い出した。水やりを途中で放り出してきたのだ。急いで畑に戻ると、芽を出し始めた野菜たちが太陽の光を浴びていた。
「ごめんね、待たせたね」
ライルは残りの水やりを済ませ、雑草を抜き、少し土寄せもした。作業をしながらも、森で見た封印石のことが頭から離れなかった。
「ねえ、ライルさん、どうかしたの?」
振り返ると、メリアが立っていた。薬草籠を持ち、採集から帰る途中らしい。
「あ、メリアさん。いえ、ちょっと考え事をしていて……」
「そんなに難しい顔して。何かあったの?」
ライルは一瞬迷ったが、メリアなら信頼できると思い、森での出来事を話すことにした。ただし、具体的な場所については明かさなかった。
「銀色の石……それに刻印……」メリアは物思いにふけるように言った。「私もそんな石のことは聞いたことがないわ。でも、ガルド村長なら何か知ってるかもしれない」
「そうですね。今度、相談してみます」
「でも、その子狼がそんなに大切に守っているなら、相当重要なものなのかもしれないわね」メリアは真剣な表情で言った。「昔から、この辺りには不思議な伝説があるの。神々が去った後も、その痕跡が残されているって……」
「神々ですか?」
「ええ。詳しくは村の古老たちの方がよく知ってるけど……」
話の続きを聞きたかったが、遠くから村の鐘の音が鳴り、メリアは慌てた様子になった。
「あ、もうこんな時間! 約束があるの。また今度ね、ライルさん」
メリアは急いで立ち去り、ライルは再び一人になった。畑の作業に戻りながらも、彼の心と頭は完全に封印石のことでいっぱいだった。
夕暮れ時、ライルは家に戻り、囲炉裏に火を起こした。シチューを温めながら、今日見た石について考え続けた。銀色に輝く表面、不思議な刻印、そして何より、子狼がそれを守る姿。
「あの子狼……『銀の守り手』と呼ばれる理由は、あの石を守っているからなのかもしれない」
窓の外では星が輝き始め、夜の静けさが森を包み込んでいった。ライルは囲炉裏の炎を見つめながら、封印石の謎について思いを巡らせた。それは単なる古い遺物なのか、それとも……もっと大きな意味を持つものなのか。
「明日、村長に相談してみよう」
そう決めて、ライルは眠りについた。夢の中でも、金色の瞳を持つ銀色の子狼と、神秘的な輝きを放つ封印石が現れては消えていった。