第5話「屋根修理と生活基盤づくり」
朝の光が窓から差し込み、ライルの顔を優しく照らした。目を開けると、天井の一部から漏れる細い光の筋が見える。屋根の隙間から入り込む朝日だ。昨日までは気にならなかったが、畑仕事で体を鍛え始めて一週間が経ち、ようやく周囲の環境に目を向ける余裕が生まれてきた。
「この家、思ったより傷んでるな……」
ライルはゆっくりと起き上がり、古い板の間を見渡した。廃屋同然だったこの家を譲り受けて以来、最低限の掃除はしたものの、本格的な修繕には手をつけていなかった。
「今のうちに直しておかないと、雨季が来たら大変なことになりそうだ」
外に出ると、朝露に濡れた草が足元でキラキラと輝いていた。村はすでに活気づき始めており、遠くからは家畜の鳴き声も聞こえる。ライルは家の周りをゆっくりと一周し、屋根の状態を地上から確認した。
「ところどころ板が抜けてるし、苔も生えてる……完全に腐ってる部分もあるな」
王都の学院では魔導書を読むことはあっても、家の修繕方法を学ぶことはなかった。何から手をつければいいのか、頭を悩ませていると、近くから声がかかった。
「おや、ライルさん。家の様子を見てるのかい?」
振り返ると、がっしりとした体格の中年男性が立っていた。村の大工、マカラだ。
「マカラさん、おはようございます。はい、屋根がかなり傷んでるみたいで……」
マカラは顎鬚を撫でながら、じっと屋根を見上げた。
「ふむ、確かにボロボロだな。雨季が来る前に直しておいた方がいいぞ。特にあそこの東側の部分は、雨漏りがひどそうだ」
「直し方を教えていただけないでしょうか? 材料はどうやって調達したらいいのか、まったく見当もつきません」
マカラは明るく笑った。
「運がいいな。ちょうど今日、村の共同倉庫の屋根を修理する予定でね。手伝ってくれたら、残った材料をわけてやるし、やり方も教えてやるよ」
「本当ですか? ありがとうございます!」
***
村の共同倉庫は、中央広場から少し離れた場所にあった。すでに何人かの村人たちが集まり、屋根の修理準備を始めていた。
「ようこそ、ライルさん!」
村長のガルドが手を振った。他にも数名の村人が作業の手を止め、ライルに挨拶した。
「みなさん、おはようございます。お手伝いさせてください」
マカラが手際よく指示を出し、作業が始まった。ライルは最初、梯子を支えたり、道具を運んだりという簡単な仕事を任された。
「これは桧の板だ。軽くて丈夫で、水にも強い。屋根材には最適なんだ」
マカラは一枚一枚の板について説明し、ライルはそれを熱心に覚えようとした。
梯子を上り下りする村人たちは皆、息の合った動きで作業を進める。手が空いたときに水を運んだり、汗を拭いたりと、互いに気を配り、協力し合っていた。
「ライル、次はあの板を持ってきてくれるかい?」
作業が進むにつれ、ライルにも少しずつ屋根修理の役割が回ってきた。初めは恐る恐る梯子を上り、不安定な足場に立つこともままならなかったが、村人たちの的確な指示と励ましで、次第に慣れていった。
「そうそう、板と板の間に少し隙間を空けるんだ。木は湿気で膨らむからな」
「釘はこう打つんだ。斜めに打ち込むと、抜けにくくなる」
昼頃になると、作業は一段落し、木陰で昼食を取ることになった。村の女性たちが温かいスープと焼きたてのパンを運んできてくれた。
「はい、ライルさんもどうぞ。畑仕事に屋根修理、大変でしょう?」
メリアが笑顔で食事を差し出した。素朴だが心のこもった料理の香りが食欲をそそる。
「いただきます。みなさんのおかげで、屋根の修理方法がだいぶ分かってきました」
村人たちと輪になって食事をしながら、様々な話に花が咲いた。季節の変わり目の話、昔の大雨の思い出、さらには村の祭りの計画まで。ライルは初めて、こうした村の団欒の中心にいる自分を感じた。
食事の後、作業は再開された。午後からはライルも実際に屋根の上で板を張る作業を任された。
「慎重にな。でも恐れることはない。俺たちがしっかり支えているから」
マカラの言葉に励まされ、ライルは一枚一枚、丁寧に板を並べていった。途中で釘を落としたり、板を滑らせたりするミスもあったが、誰も責めることはなく、むしろ笑い話として場を和ませた。
「俺なんか、初めて屋根に上ったとき、怖くて動けなくなっちまったよ!」
「そうそう、私も若い頃、屋根から滑り落ちて、下の藁の山に突っ込んだことがあるわ」
笑いながらも、確実に作業は進んでいった。
***
夕方になると、共同倉庫の屋根修理はほぼ完了した。新しい屋根板が整然と並び、倉庫は見違えるように立派になっていた。
「みんな、お疲れ様!」
ガルドの声に、村人たちから歓声が上がった。充実感に満ちた表情で、互いの肩を叩き合う姿があちこちで見られた。
「ライルさん、今日はよく頑張ったな。初めてにしては上出来だ」
マカラがライルの肩を叩いた。
「ありがとうございます。皆さんのおかげです」
「約束通り、余った材料をやるよ。それと明日、俺の息子が手伝いに行くから。お前の家の屋根、一緒に直してやろう」
「本当ですか? 助かります!」
帰り道、ライルは余った屋根板と釘を抱え、疲れた体で家に向かった。途中、銀色の影がチラリと見えたような気がして足を止めた。
「あの子狼か……」
森の縁に目を凝らすと、確かに金色の瞳が光っているのが見えた。ライルがそっと手を振ると、子狼は少しだけ姿を見せ、軽く頭を下げるようなしぐさをした後、静かに森の中へ消えていった。
「また会おうね」
ライルは微笑んで歩き出した。どこか不思議な生き物だが、その存在が心地良かった。
***
翌朝、約束通りマカラが息子のトビアスを連れてやってきた。トビアスは父親よりも若く、20代半ばといったところだが、すでに腕の立つ大工だと評判だった。
「よろしく頼むよ、ライルさん」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
三人で屋根の状態を詳しく調べると、東側が特に傷んでいることが分かった。雨漏りもその部分が原因だろうとマカラは指摘した。
「まずは古い板を剥がすところからだな」
マカラとトビアスの指示に従い、ライルは慎重に古い屋根板を剥がしていった。朽ちた木材はところどころでボロボロと崩れ、長年の風雨に耐えてきた証を見せていた。
「この家、結構古いんだな。でも骨組みはしっかりしている。直せば長く使えるよ」
トビアスの言葉に、ライルは少し嬉しくなった。廃屋同然と思っていた家だが、しっかり手入れすれば、立派な住まいになる可能性があるのだ。
作業は一日がかりで続いた。古い板を取り除き、腐った部分を補強し、新しい板を一枚一枚丁寧に張っていく。ライルは昨日の経験を活かし、積極的に屋根の上での作業も手伝った。
「ライルさん、上手くなったじゃないか!」
マカラが感心の声を上げると、ライルは照れながらも誇らしげに笑った。
「昨日、皆さんから教わったおかげです」
作業の合間に、ライルは家の中に簡易の囲炉裏を作り、簡単な昼食を用意した。山菜のスープと、昨日もらったパンだけの質素な食事だったが、マカラとトビアスは喜んで口にした。
「うん、素朴だが味わいがあるな。山菜の香りがいい」
「ありがとうございます。まだ料理は下手ですが……」
「いやいや、外での作業の後には最高だよ。それに……」
マカラはふと窓の外に目をやり、声を低めた。
「あの子、また来てるな」
ライルが振り返ると、家の近くの木陰に、例の銀色の子狼が座っていた。作業の様子をじっと見守っているようだ。
「ライルさん、あの子に気に入られたみたいだな」
「ええ、ここで畑を耕し始めてから、時々姿を見せるんです」
「あの子が人に近づくのは珍しい。村では『銀の守り手』と呼んでいるんだ。見守られているライルさんは幸運だな」
食事を終え、再び作業に戻ると、子狼はまだそこにいた。時々首をかしげたり、耳をピクピクと動かしたりしながら、彼らの作業を見つめている。
「あいつ、何か言いたそうだな」トビアスが笑った。
日が傾き始める頃、ようやく東側の屋根の修理が完了した。新しい板が整然と並び、雨漏りの心配はなくなった。
「これで雨が降っても安心だ。まだ西側も直した方がいいけど、とりあえず急ぎの部分は終わったな」
ライルは屋根を見上げ、感謝の気持ちでいっぱいになった。
「マカラさん、トビアスさん、本当にありがとうございました。これでやっと安心して眠れます」
「いいってことよ。村ではお互い様だ。それに……」
マカラは笑いながら、屋根を指差した。
「あの子もお前の家が良くなって喜んでるみたいだぞ」
振り返ると、銀色の子狼が屋根の上に上り、新しい板の上を軽やかに歩いていた。三人が見ていることに気づくと、子狼は一瞬驚いたような表情を見せ、すぐさま身軽に飛び降りて森へと走り去った。
「はは、審査に来たんだな」
マカラとトビアスが大笑いし、ライルもつられて笑った。
***
日が完全に沈み、マカラ親子が帰った後、ライルは一人家の中に立っていた。修理された屋根からはもう光が漏れておらず、夕暮れの静かな暗がりが部屋を満たしていた。
「少しずつだけど、形になってきたな……」
ライルは壁に触れ、床を見渡した。まだまだ修理すべき場所はあるが、ここは確かに「自分の家」になりつつあった。王都では決して手に入れられなかった、自分だけの場所。
囲炉裏に火を起こし、夕食の準備をしていると、窓の外で物音がした。ゆっくりと窓に近づくと、銀色の子狼が戻ってきていた。今度は一人になったライルを見て、少し大胆になったのか、家の入り口近くまで来ている。
「また来てくれたんだね」
ライルがそっと扉を開けると、子狼は警戒したように身構えたが、逃げはしなかった。
「今日はありがとう。見守っていてくれたんだね」
子狼は金色の瞳でライルをじっと見つめ、何かを伝えようとしているかのようだった。
「寒くなってきたけど、一緒に食べる? あまり豪華じゃないけど……」
ライルが囲炉裏の方を指差すと、子狼は軽く首を傾げ、それから静かに後ずさりして森の方へ向かった。しかし完全に去る前に、一度振り返ってライルを見た。まるで「またね」と言っているようだった。
「おやすみ、また来てね」
ライルは微笑んで手を振った。子狼が去った後も、その存在が残した不思議な温かさを感じながら、家の中に戻った。
囲炉裏の火が部屋を柔らかく照らし、暖かな光が新しい屋根の下で踊っていた。ライルは壁や床、そして屋根を見渡し、この家が少しずつ自分の居場所になっていくのを感じた。修理された屋根の下、初めて安心して眠れる夜。それは小さいけれど、確かな一歩だった。
「明日は西側の屋根も少しずつ直していこう……」
そんなことを考えながら、ライルは囲炉裏の横で眠りについた。