第1話「王都からの追放」
朝の光が窓から差し込み、埃の舞う小さな屋根裏部屋を淡い金色に染め上げた。ライル・アッシュフォードは目を細めながら、古びた木製の椅子に腰かけ、机の上に置かれた通達書を何度目かの読み返していた。
「魔導師養成院より、ライル・アッシュフォード殿へ——」
目が滑るように文面を追う。それは彼がこの三日間で百回は読んだ文面だった。
「——スキル適性検査の最終結果により、貴殿の魔導師としての適性は認められず、王都における在留資格を取り消す——」
ライルは深いため息をついた。二十二年の人生で、これほど長いため息をついたことはなかった。
「——速やかに王都を離れ、辺境地域への移住をされたし——」
彼は窓の外へと視線を向けた。王都レーゲンブルクの朝は、いつも通り活気に満ちていた。石畳の通りを行き交う人々、開店準備に追われる店主たち、遠くに聳える王城の尖塔——そのどれもが、明日からは彼の日常から消えるのだ。
「無能っていうのも悪くないさ」
自嘲気味に呟いて、ライルは通達書を折りたたみ、旅用の鞄に滑り込ませた。「無能」——それは王都で最も忌み嫌われる烙印だった。この世界では、生まれた時から持つとされる「スキル」が、人の価値を決める。王都に住む資格があるのは、強力なスキルを持つ者だけ。そして、彼のようにスキルが「未発現」の者は——。
「ライル、起きてる?」
軽いノックと共に、階下の大家であるマーサおばさんの声が届いた。
「はい、起きてます」
「今日が最後の日だって聞いたよ。何か手伝えることはないかい?」
「大丈夫です。荷物もほとんどないので」
実際、彼の所持品は小さな鞄一つに収まるほどだった。魔導師を目指して七年間……その間に得たものといえば、使い古された魔法書数冊と、わずかな生活道具だけ。
「そうかい……」マーサの声には遠慮がちな同情が滲んでいた。「朝食はできてるから、降りておいで。さっぱりした味だけど、旅立ちの朝くらいは何か食べていったほうがいいよ」
「ありがとうございます」
階下へ降りると、質素ながらも心のこもった朝食が用意されていた。パンと卵、わずかなベーコンとハーブティー。王都の一般家庭の日常的な食事だが、今日はライルにとって特別な味がした。
「四年間、お世話になりました」ライルはマーサに感謝を告げた。
「あんたはいい子だったよ」マーサは首を振りながら言った。「スキルなんて、人の価値を決めるものじゃないよ。王都の連中はそれがわからないだけさ」
ライルは微笑むしかなかった。マーサの言葉は優しいが、この世界の現実は違う。スキルこそが全てなのだ。
「行き先は決まったの?」マーサが尋ねた。
「北の辺境です。アーデン村というところ」ライルはパンをかじりながら答えた。「移住先は選べないんですよ。役所が決めてくれました」
「随分と遠いところね……」
「聞いた話では、のどかな村だそうです」ライルは明るく振る舞おうとした。「畑を耕して、のんびり暮らすのも悪くないかもしれませんね」
マーサは少し寂しそうに微笑んだ。「そうね。あんたなら、どこでもうまくやっていけるよ」
朝食を終えた後、ライルは最後の準備を整えた。魔法書は重いが、これだけは手放したくなかった。七年間の努力の証だ。成果はなくとも、彼の青春そのものだった。
***
王立魔導師養成院——それは王都で最も美しい建物の一つだった。白い大理石の柱と、青い水晶のドームが空に向かって伸びる壮麗な建築物。ライルは最後に一度、この建物を訪れることにした。
「来る必要はなかっただろう」
冷たい声が背後から聞こえた。振り向くと、銀の刺繍が施された青いローブを纏った男が立っていた。養成院の教授、ジェイク・フェリウス。ライルの七年間の師であり、最も厳しい批評家でもあった人物だ。
「さよならを言いたくて」ライルは微笑んで答えた。「七年間、ありがとうございました」
ジェイクは口角を下げた。「感謝されるようなことはしていない。お前は才能がないのに、無駄に時間を浪費しただけだ」
ライルは黙って首を縦に振った。反論する気力はなかった。七年間、彼は誰よりも努力してきた。夜遅くまで魔法書を読み、呪文を練習し、魔力の流れを感じようと己を追い込んできた。それでも、スキルは目覚めなかった。
ジェイクはライルをじっと見つめた。「お前は頭がいい。理論はわかる。だが、スキルなしでは魔道は極められん。それが現実だ」
「わかっています」
「辺境でも、その頭を使え。農業や交易なら、魔法なしでもやっていける。無理に魔導を追うな」
それは意外なほど実用的なアドバイスだった。ジェイクなりの贈り物だったのかもしれない。
「はい。ありがとうございます」
ジェイクは軽く頷くと、何も言わずに養成院の中へと戻っていった。
***
「いや、マジかよ。あのライルが追放?」
「聞いたぜ。結局、スキル出なかったんだってさ」
「七年も粘ったのに……惜しいよな」
「でも、スキルないやつが王都にいても無駄だしな」
王都の中央広場を通り抜けながら、ライルは周囲の噂話が耳に入ってきた。彼の追放は、すでに町中の話題になっていたようだ。かつての同級生たちは、彼を見つけると視線を逸らすか、同情的な目で見るかのどちらかだった。
最後に立ち寄ったのは、王都の城壁に近い小さな丘だった。ここからは王都全体を見渡すことができる。七年前、初めて王都に来た日、彼はこの丘に立ち、夢と希望に胸を膨らませていた。
「僕は魔導師になる」そう誓った場所だ。
風が吹き、王都の匂いが鼻腔をくすぐった。パンの香り、花の香り、人々の活気が混ざり合った匂い。明日からは、辺境の土の匂いがするのだろうか。
ライルはゆっくりと目を閉じた。王都での七年間が走馬灯のように頭を巡る。
最初の日、養成院の入学試験に合格した時の喜び。
二年目、初めての実技試験で失敗し、クラスメイトに笑われた日。
四年目、夜通し勉強して理論試験でクラス一位を取ったが、実技では最下位だった時の複雑な気持ち。
六年目、スキル未発現者は副業として農業を学ぶことを「勧められた」日。
そして最後の日、最終適性検査で「スキル未発現」の烙印を押された瞬間。
「王都、さようなら」
ライルは小さく呟いた。悔しさはあるが、不思議と心は穏やかだった。七年間、彼は全力で走り続けてきた。努力の末に得た結果は「無能」の烙印。それでも、彼は後悔していなかった。
夕暮れの光が王都を赤く染め上げる中、ライルは丘を下り始めた。明日の朝、彼は北の辺境へと向かう馬車に乗る。新しい人生の始まりだ。
「のんびり暮らしたいだけなんだけどな」
風に向かって呟いた言葉は、誰にも届かなかった。